久しぶり

久しぶりに帰ってきました。

約4年半ぶり。

いろいろなことがありました。

いろいろなことがありすぎて、何も思い出せません。

自分は東京に来るし、ともちゃんはしぬし。

それでも変わらないただ唯一のこと、それは

未だに僕はフリーで愛を求め彷徨っているということです。

 

過去のブログ見てて思ったのですが、

単純に恋愛不適合者だなと思います。

もう「一生お前の中の統合失調症すれすれの世界で生きてくれ」って思います。

そういえば母親が糖尿性腎炎で今年の1月から腹膜透析を始めていて、

父親は統合失調症になって「裏山のやつらが水道の水を抜いて、電波を流して高速道路にある増幅器で増幅させてるせいで耳鳴りがひどい」とか真顔でいうようになりました。

時間とともにみんな壊れていきます。

そう思うと、過去の自分のブログは、ある意味すごく純粋で、大事にしたい感覚だとは思います。なので僕は過去のブログであったりツイートであったり、過去の自分の考えとかを消すつもりはありません。

見てるだけで「ひー」と声が上がるような表現もありますが、それだけベクトルは別として力のある言葉なのだと思います。

 

性懲りもなく大阪でも最後に失恋をして、それが原因で東京に逃げてきて、今で2,3週間ほどですが、未だに夢も見るし忘れることができません。でもその人のツイートを見ていて思ったのですが、多分内面的には別に興味を持つ対象ではなくて、やっぱり純粋に見た目と遺伝子的にタイプだったんだなと思います。遺伝子的に相性のいい人の匂いはいい匂いに感じるみたいなあれです。あれです。多分。

なので彼女と1年以上会ってない今は、もはや彼女そのものではなくて、自分の頭の中の概念としての彼女を愛して、言い方はあれですが、呪われてしまったのだろうなと思います。

もう少し時間はかかるかもですが、少しずつ、少しずつ、この自分以外誰もいない部屋から離れていきたいと思います。

 

あんなに憧れていた東京ですが、家賃は高いし、部屋は狭いし、暗いし、寒いし、QOLは正直低いです。仕事内容が興味あるからもってるけど、本当にお金払って住むような場所ではないです。物件をもっと選べばいいところもあるのでしょうが、今はとりあえず、スポーツジムに行かない限りは、あまり意味のない家に住んでいます。

あ、そうです。大阪での失恋から、スポーツジムに行くようになりました。

筋トレとプールで10キロくらい痩せました。でもまだまだ体がデカイので、あと10キロ減らしたいなと思っています。そういう意味では、あの失恋も悪いことばかりではなかったのかもしれません。あとはこの東京でもっと大きな幸せを掴むことです。

 

ちょっと眠くなったので今日はこれくらいで。またね。

なんで

なんで有限の人生の中で働いてるのか

土日は本当に何もやる気が起きない

ずっと寝てる

ずっと寝てる

ずっと寝てる

平日は働く

そういう人生だから

そういう仕事をして、お金を得て、生きているから

こんなのまるで、僕は生きているだけだ

そこまでして働いて、本当に意味があるのかわからない

転職したときってどんな気持ちだったんだろう

とりあえず東京に身を置いて、それから仕事はスキルに裏付けのあるIT系で、プライベートは刺激的。そんなつもりでいたけれど、僕が今いるのは大阪で、やってる仕事はアルバイトでもいいようなもので、おぼろけなリミットの中で勉強をする気にもならない。

将来いつか、この経験が生きることはあると思うけど、今は苦痛だ。先が見えない。人生の先が。そうこうしてるうちに僕は年齢だけを重ねて、何のスキルもないままに若者と呼ばれなくなり、この世界でお母さんと一緒にいられる時間は刻一刻と減っていく。

なにやってんだ、どうなってんだ。なんなんだ、これは

内心ずっと思ってることがある

 

25年も母親に溺愛されて何不自由なく育ってきて、それが突然転職して、一人暮らし始めて、なんでこんなにすんなり入れたのだろうか

普通もっと抵抗があってもおかしくなかったと思う。でも思ったよりすんなり入れてる。この選択が間違っていないことの証明であることを祈ります。

さらばレッド

年明けに福岡にいくことにした

 

来年は東京に行く可能性があるし、とかいろいろ理由を考えてみたものの

実際に僕が福岡に行こうと思った真相はこうだと思う

 

自信を取り戻したい

 

東京で会った二人の女子大生

 

どう考えてもあっちがおかしいというかあっちの落ち度が大きすぎて話にならないんだけど、それでもやっぱり、あの波を最悪の結果に帰結させた自分にも少し失望している

 

だから自信を取り戻したい

前回はたまたま不運が重なっただけなのだと証明したい

僕の迷路ゲームは続く、続く

 

彼女たちは結局20前後の冒険がしたい出来心で僕と会ったのだろう

まあこの話はやめよう

 

驚いたことは、うち一人がけっこう有名な芸能人夫婦の娘だったということ

 

というか僕は知らなかったけどその子自身が一部ではわりと有名な人だったということ

 

僕は感じたことがある

 

彼女は会う前のやりとりで「さみしい」といっていた

 

「実家でしょ?お母さんいるのにさみしいの?」

 

「そんなの関係ない」

 

この返答に僕は違和感を覚えた

 

でも正体がわかった今ならわかる

 

彼女は今の身分も、そしてこの先の未来も、自分を溺愛する母親にひかれたレールをただ進んでいくのだろう

彼女は「本当にこのままでいいのか」確信を持ててないのだと思う

彼女には彼女だけの孤独がある 

 

ただ今回は彼女たちがあまりにも幼かったので

「いつかまた仲良くできる日がくればいいね」

くらいの感覚で僕は僕の人生を生きていこう

 

今回のことで一つ学べたこと(というか再確認)があって、やっぱり、「今!今来て!」っていわれたときにいかないと、人間はナマモノだから、だいたい思い通りにはいかなくなるね

そういうところが面白いのかもしれないけどね

近況

病んだので久しぶりにきました

 

 

 

女の子は本当に嘘つきばかりだ

 

嘘みたいに嘘をつく

 

舌も乾かないうちに

 

僕は何度もその言葉を信じて、期待して、裏切られてきた

 

「もう裏切らないですか?それなら信じます」

 

そんな命乞いのような気持ちすら平気で嘘に飲み込まれた

 

でもこれが 普通 なのかもしれない

 

僕が純粋すぎるだけなのかもしれない

 

でもそれは仕方のないことだ

 

僕はお母さんが大好きだ

 

お母さんも僕が大好きだ

 

宇宙をも飲み込んでしまうくらいの大きな愛に包まれて僕は育った

 

だから信じられないんだ。嘘をつく女の人がいるということが

 

そしてその嘘は多くの場合、僕の性的な気持ちを弄んだ

 

その結果、僕は女の子とセックスすること、セックスしようとすることが恐くなった

 

別に誰かにどうこうしてくれと頼みたいわけじゃない

 

事実として、女の子とセックスしようとすることが恐いんだ

 

だけど性欲があるのも事実で、その狭間で僕の心はきりきりと締め上げられ

 

休日は涙が止まらない

 

別に何かをして欲しいわけじゃない

 

助けを呼ぶことすら僕は恐いから

Level 26

働いて、働いて、週末になって、一人で寝て、食べて、テレビ見て、オナニーして

 

働いて、働いて、週末になって、一人で寝て、食べて、テレビ見て、オナニーして

 

働いて、働いて、週末になって、一人で寝て、食べて、テレビ見て、オナニーして

 

働いて、働いて、週末になって、一人で寝て、食べて、テレビ見て、オナニーして

 

働いて、働いて、週末になって、一人で寝て、食べて、テレビ見て、オナニーして

 

26年目が終わりそう

 

人は大人になったら「自分は何もすごくない」ことを知るって聞いてたけど、

実際にはちょっと違った。

 

「人は何もすごくない」

 

自分だけじゃない。人は何もすごくない。だから、頑張らないといけない。

 

持って生まれたものだけでは生きてはいけない。

 

何か武器を、防具を、魔法を、愛を、手に入れなければ、僕たちは戦えない。

オリンピックじゃあるまいし

本当僕はいつまであの人のこと思っては泣くのだろうな

 

肌と肌が触れ合ってから3年以上経ってるのに、なんでまだ泣くほど好きなんだろう

 

そしてこの僕の想いが、本人にはきっとわかってないことが悲しい

 

でもこの気持ちをわかってもらったところで、彼女には結婚するだろう相手がいるわけで

 

僕はやっぱり何もいわずに泣き続けるしかない